全国のフランチャイズ(FC)チェーン12社
1970年代は、全国にある小型DIY店を組織するフランチャイズ展開が進みました。
その中で大きく成長したフランチャイズチェーンは、弊社以外にも11社。1974年(昭和49年)の店舗数と所在地は以下のとおりです。
チェーン名 | 本部 | 店舗数(1974年時点) | 所在地 |
ぼくとパパの日曜大工 | 和気産業FC本部 | 161店 | 大阪府東大阪市 |
ダイカーチェーン | ソーラーチェーン本部 | 126店 | 兵庫県神戸市 |
ホームカーペンター | 株式会社ホームカーペンター | 65店 | 大阪府東大阪市 |
カーペンターボーイズショップ | 山本ベニヤFC事業部 | 47店 | 東京都北区 |
ファミリーカーペンター | 松浦商事営業推進部 | 45店 | 東京都台東区 |
キングファミリーチェーン | 日本ベニヤKFC本部 | 44店 | 東京都港区 |
こづちチェーン | 後藤FC本部 | 22店 | 大阪府堺市 |
ハンドメークチェーン | 西井塗料ハンドメイク事業部 | 16店 | 大阪府東大阪市 |
北日本カーペンターボーイズショップ | 株式会社北日本カーペンター | 13店 | 北海道札幌市 |
トンカチくらぶ | 北村恵商事住宅部 | 5店 | 大阪府大阪市東区(当時・現中央区) |
トミファミリー | 松富チェーン本部 | 2店 | 大阪府東大阪市 |
ホイム | 株式会社ホイム本部 | 2店 | 大阪府西成区 |
当時、各チェーンの加盟店数は年々増えており、1974年時点では総店舗数500ほどだったのが、翌年の1975年には1,000店以上となりました。
全国各地にDIY小型店が網の目のように点在し、確実にマーケットを広げていったのです。
和気産業のFC展開は、店舗数・売上高と共に他社を圧倒
1974年時点、FC展開で店舗数3桁を超えたのは、弊社とダイカーチェーンの2つだけ。
さらに、既存店の月商は900万円(粗利30~35%)と、損益分岐点の467万円をはるかに上回る成績を上げていました。
弊社のFC展開の特徴は、加盟料・ロイヤリティー(看板料)を一切取らないことでした。目的は「DIY店の普及と拡大」だったからです。
唯一の共通点は「ぼくとパパの日曜大工」という看板を掲げていることでした。
日曜大工センター開店マニュアル
1972年には、「日曜大工センター開店マニュアル」という、B5版ヨコ書きのタイプ印刷18ページのパンフレットを作成しました。
内容は以下の通り
- 1. 「日曜大工」の言葉としての定義
- 2. 「日曜大工」の将来性とその要因
- 3. 業種分類から見た「日曜大工」
- 4. 商品に対する価値観の変化
- 5. 売れる店と売れない店
- 6. 計数から見た日曜大工センター
- 7. 購買の傾向
- 店内レイアウト2例付き
数年後に作成された、開店マニュアルの改訂版と思われる資料も残っています。
内容は以下の通り
- 1. Do it youselfとは?
- 2. 日曜大工センターは新しいスタイルのお店です
- 3. Do it youselfはこれからの有望なマーケットです
- 4. これが日曜大工センターです(レイアウト例記載)
- 5. 日曜大工センターの経営はこんなに簡単しかも合理的
- 6. 開店お手伝いシステム
まとめ
「ぼくとパパの日曜大工」によるFC展開で、小型店の普及や啓蒙に力を注いだ1970年代。1975年を境に、大阪では日々開店が相次ぎ、導入したコンピューターが半年でデータオーバーになったことも。
それから数年後にはホームセンター時代が到来し、弊社が目的としていた「DIY店の普及と拡大」は一定の役目を終えFC展開も終了を迎えました。
※弊社社史「和気産業60年の歩み」P120~121・145~146より抜粋