海外の受け売りではない、日本流DIYを目指した和気博史
DIYにいち早く注目したのが、弊社の2代目社長、和気博史です。
1945年にイギリスから始まり、ヨーロッパ全土、さらに北米へと広がっていったDIY。「Do it yourself (何でも自分たちでやろう)」という精神で、家を修繕したり家具をリユースしたりするのが、海外のDIYでした。
日本のDIYも同じように広まってきたものの、「海外の受け売りにしてはならない」ということを、和気博史は最初から自覚していました。なぜなら、日本にあるのは、せまい建て売りや文化住宅といった生活空間。海外とは事情が違うからです。例えば、4畳半に棚をつくり6畳分に使おうというやりくり型の生活発想が日本には必要であり、DIYの世界でも、それを具体化することを目指したのです。
そうして和気産業で生まれたのが「すき間型商品」です。このような日本に合わせたDIY商品やDIYを提案することで、日本にもDIYが広まり定着していったのです。
DIY協会副会長に就任し、海外視察へ積極的に参加
和気産業がDIY業界のパイオニアとなるだけでなく、日本にDIYを広めるため、活動を続けた和気博史。
まず、日本DIY協会副会長に就任。さらに1977年(昭和52年)10月に設置された、日本DIY協会のPR、パブリシティー活動の一切を行うPR委員会の委員長に就任します。同月、高輪プリンスホテルで西ドイツのDIY協会代表との日独DIY懇談会にも出席しました。
1979年(昭和54年)8月4日、通商産業省(現、経済産業省)がDIY業界を生活産業局住宅産業課の所管業種と指定し、DIY産業基本問題研究委員会を設けると、和気博史はDIY産業振興対策委員に委託されます。
海外視察も、積極的に行いました。
・第1次関西地区経済界友好訪中団の団員として中国を視察(1979年5月)
・日本DIY協会主催のアメリカDIY産業視察団として参加(1980年2月~3月)
・株式会社三栄水栓製作所主催の北欧視察旅行に参加(1980年8月~9月)
・アメリカ、カナダDIY産業視察団に副団長として参加(1981年3月)
1980年5月、日本DIY協会は「社団法人日本ドゥ・イット・ユアセルフ協会として通産大臣から認可を得ます。和気博史は引き続き副会長に就き、7月に設置されたDIY商品委員会の委員長にも就任します。
メディアに次々と登場し「アイデアと決断力」を評価される
1980年(昭和55年)4月18日、和気産業が初めてテレビに登場します。番組は、NHK教育テレビ番組「中堅企業リポート・消費者情報をつかむ」でした。
【中堅企業リポート・消費者情報をつかむ】
消費者情報を収集するために何をしているかの問いに、和気博史は情報収集のポイントとして3つをあげました。
お得意先の店頭に出向いて情報を集める
社長を含め全社員がモニターとなって商品を使用し、情報を集める
商品のレイアウトによりその売れ方やデッドストックを調べ、その調査情報を集める
さらに番組では、得意先のホームセンターや弊社のショールームが映され、得意先と一体となって企業の発展を図っていることが紹介されました。
1981年(昭和56年)7月28日、NHK総合テレビ「BKスペシャル・がんばってまっせ・大集合!!関西成長企業の城主たち」に、和気博史が出演しました。
【BKスペシャル・がんばってまっせ・大集合!!関西成長企業の城主たち】
この番組に出演したのは、先に放送された「中堅企業リポート・消費者情報をつかむ」で取材された企業から選ばれた30名。司会は浜村淳さんと末広真季子さんです。
他の出演者が全員スーツ姿なのに対し、和気博史は「DO IT YOURSELF」の横文字が入ったTシャツを着用し、話題をさらいます。これを着用した理由を問われ、「会社の制服なんです。男女共用で、夏の省エネ、省資源に協力しているつもりでおります」と答えました。当時は、その文字の意味についても質問されたことから、DIYがまだ普及の途中であったことがうかがえます。インタビュアーの末広さんには、「時代を先取っている。感性がシャープである。」と評されました。
テレビに出演だけでなく、1981年8月には、4日間にわたり大阪新聞に連載されました。テーマは「シリーズ80年代を生き残れ!アイデアを武器に」です。その中で、新聞には以下のように記載されました。
【シリーズ80年代を生き残れ!アイデアを武器に】
週休2日制の浸透は、サラリーマンの余暇を増やし、自然と自分の住まいに目がいくようになった。和気産業は、この需要を先取りしてみごとに育った企業である。日本で初めてDIYの看板を掲げ、今や業界の雄。和気博史は「アイデアと決断力」で、業界に聞こえた人物だが、経営にもその個性を色濃く反映している。
「先見性と実行力」はウワサにたがわず、今ではDIY業界のトップ商社。ここ4~5年の決算は、年平均10%以上の伸びをみせており、経常利益は4億8000万円と好調を極めている。
得意先は1,500店、扱う商品はざっと1万種。単品ではコストがかかるが、多品種のアッセンブリ(寄せ集め)を行うことで多量出荷を叶えている。商品群は主に、一流メーカーのナショナルブランド、メーカーとの共同開発商品、独自開発のPB(プライベート)商品の3種類。PB商品が徐々にウエートを高めていることに、和気産業の力強さがうかがえる。
以上、新聞記事より抜粋しました。
まとめ
1970年代後半から80年代にかけて、「アイデアと決断力」が評価された、和気博史の手腕が発揮されたことがわかるエピソードを紹介しました。
そんな和気博史は、1986年(昭和61年)に体調を崩し、社長を退任。一度は復帰したものの、翌年には帰らぬ人となります。
「故人の偉業を後世に伝えるよすがとして建立しては」という声が仕入れ先からあがり、賛同を得た42社と社員有志の篤志を加えて製作された胸像は、現在も本社正面玄関に初代社長と共に飾られています。
※弊社社史「和気産業60年の歩み」P163~167より抜粋